賢いということ
今の学校教育では、知識の量の集積で、頭がいいとか悪いとか、偏差値で、判断しているようです。
欠けているものは、「思考力」と「発想力」と「思いやりの心」、ではないでしょうか。
では、どうしたらそれが、身につくのかというと、学校の授業の中に、「発明の時間」を入れてもらい、自分の好きなことを、とらわれない自由な発想で、考える習慣を身に付けてあげることは、どうでしょう?
本当に賢いということは、知識を一杯持っていて、勉強のできる人のことを、言うのではなく、気が利いて、人の気持ちがわかる人のことを、言うのではないでしょうか。